『二十一世紀民藝』以来、六年ぶりの待望の新刊
1941年に生まれて2005年に亡くなった漆藝家の角偉三郎さんと、赤木さんが出会ったのは1985年頃で、まだ23歳だった。その時、二人ともへべれけになって、角さんが赤木さんの手を両手で抱きしめて、目を見つめながら「赤木くん、漆っちゃなんやろうか?」と呟いた。その言葉が、赤木さんには「私とは、何者なのか?」「私は、どう生きるべきなのか?」という意味に聞こえた。おそらく同じ問題を抱えていた赤木さんは、その問いに誘われて、輪島へと向かった。
1946年に生まれて2021年に亡くなった陶藝家の黒田泰蔵さんは「自分の抱えている問題を解決するために、円筒という白磁作品をつくっているんだ」と仰有っていたが、ある日パタリとつくるのをやめてしまった。その理由は「自分の中の問題が解決したからなんだ」と。赤木さんと堀畑さんは、「泰蔵さんは、いったいどういう問題を抱えていて、それがどのように解決したのか?」とたずねてみたが、答えは無く、「自分の中にはあるんだけどねぇ。いつか言葉にできたらお話ししますよ」と微笑みながら仰有ったまま逝ってしまった。
問いはすでに立てられている。だが、その答えがみつからないばかりではなく、問いそのものすらもなんだかはわからない。工藝家とは、言葉にすることのできない問いにさいなまれ、悶え苦しみながら、その問いと格闘する者のことだ。
工藝家が、あえて立てる問いは、言葉の世界に向けられた問いではない。問いは、つねに言葉の届かない場所に向けられているのだ。そして、その問いを解決するための道はひとつではない。土を手にした者は、沈黙したまま轆轤に向かうのかもしれない。漆を成す者には、見つめ、寄り添う以外に手を出せる領域は無いのだから、言葉を駆使してこの世界のキワに立つしか術がない。ひとの纏うものをデザインする者は、さらにほんとうのことを求めて考えつづけるしかない。そこで共に味わう何かは、きっと同じだと信じている。
工藝的なるもの
声楽家が、舞台に立ち両手を広げて、第一声を放った瞬間に、天空からキラキラと金粉が降り注いでくるように音が聞こえる。瞬間的にぼくは感動したのだ。江戸時代の書家が、息を細く均一に吐きながら挽ききった墨の線のタッチに、たましいを揺さぶられる。型を崩すことなく繰り返される茶の湯の点前に、こころが入っているかどうかは、たちまちのうちに感じ取ることができる。硬く張られたハープの弦を、一瞬弾いた音を聴いた刹那、涙がポロポロとこぼれ落ちる。器にポンと投げ入れられた、一輪の花の姿に、生命の輝きの一瞬と永遠を見て取る。一見無造作に見える桃山陶工の指の痕跡に、室町漆工の手が塗り上げた玉のような漆の貌に、どうしようもなく魅せられてしまう。こういう事態は、どのようにして起こりえるのだろうか? 藝術が、むしろ言葉であるとすると、それよりももっと古く、深い場所に、その起源があるのではないか。言葉の届かない、その何かが、ぼくのこころの深い場所とシンクロしている。それらのどれもが、ぼくには工藝的だと思えるのだ。
器をつくること……………6
はじめに/ぼくたちが失ったもの 赤木明登……………12
序論/二十一世紀の民藝 赤木明登……………17
一章/黒田泰蔵さんに会いに行く!
黒田泰蔵×赤木明登
[一]在って、無きが如きもの ……………40
[二]虚空へ ……………66
目次
二章/工藝としての服飾
堀畑裕之×関口真希子×赤木明登
[一]ポエジーが放つ真の言葉……………82
[二]藍は染まるのではなく宿るのだ……………90
[三]命を繋ぐ工藝……………99
三章/禅と工藝
原田正道老師×堀畑裕之×赤木明登
[一]日日の心得……………124
[二]すべての宗教の基礎にあるもの……………143
[三]すべてを繋ぐ〇……………144
[四]主観のなかの主観……………166
四章/民藝の核心
荒谷啓一×赤木明登
[一]この世界には隠蔽されているものがある……………190
[二]暮らしに奉仕するもの……………198
[三]宗教的真理と民藝……………208
[四]真理と美の結縁……………221
五章/ぼくたちは、いまどこにいるのか?
「座標」について 艸田正樹×赤木明登
[一]単純で、深く、掘りつづけられる技術……………236
[二]自然法則のなかにあらわれるいい形……………246
六章/工藝原點
堀畑裕之×関口真希子×赤木明登
[一]「円筒」について……………260
[二]「外部」について……………267
[三]「用」について……………273
[四]「信」について……………281
[五]「共感」について……………289
[六]「常識」について……………296
[七]「円筒」について再び……………303
[八]「浄福」について……………314
七章/虚空の微笑み
堀畑裕之×関口真希子×赤木明登
おわりに/道と器 堀畑裕之……………356
第二部/実践篇『工藝的信仰』
第三部/理想篇『超越論的工藝論』
多才なゲスト
塗師・赤木明登と服飾デザイナー・堀畑裕之が、多才なゲストとともに対話をつづけ、創作の核心に迫っていく。
赤木明登
1962年岡山県生まれ。中央大学文学部哲学科卒。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進の元で修業、1994年独立。以後、輪島でうつわをつくり、各地で個展を開く。漆藝家としての活動のみならず執筆活動も二十年にわたって継続的に行っている。
堀畑裕之、
関口真希子
服飾ブランドmatohu デザイナー。
堀畑は大阪府堺市生まれ。同志社大学文学部、同大学院文学研究科哲学専攻 博士過程前期修了。文化服装学院アパレルデザイン科卒業。コム・デ・ギャルソンにてパタンナーを務める。関口は東京都出身。杏林大学社会学部法律政治コース卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科メンズデザインコース卒業。ヨウジヤマモト・プールオムにてパタンナーを務める。
五年の勤務ののち、共に渡英。ロンドンコレクションの仕事に携わる。 帰国後、2005年「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトにした服飾ブランドmatohuを設立。2006年より東京コレクションに継続的に参加。
2018年以降はファッションショーをやめ、「手のひらの旅」と題した動画を発表。各地の工藝と協働し、服飾デザインをとおして本来的なあり方を提案している。
黒田泰蔵
1946年滋賀県生まれ。1966年渡仏し、パリ滞在中、民藝作家の島岡達三と偶然出会う。1967年にカナダに渡り、島岡の紹介で、Gaétan Beaudin氏に師事し、やきものを始める。1970年と1973年に一時帰国し、益子の島岡の元で陶藝を学ぶ。1980年帰国。1991年伊東市に築窯し、スタジオも開設。この頃より白磁への挑戦を始め、究極の白磁を追い求めつづけた。2020年大阪市立東洋陶磁美術館で個展を開催。2021年逝去、享年七十五歳。
原田正道
曹源寺住職。1940年奈良県郡山市、禅寺の次男として生まれる。京都花園大学卒業後、神戸祥福寺禅道場に掛搭。1982年岡山曹源寺に入山。以来、修行に国境無しと、任じて広く海外の修行者に門戸を開き、弟子教育に専念。現在、曹源寺では十ヶ国以上の修道者を指導している。
荒谷啓一
1972年富山県生まれ。国際基督教大学人文科学科卒業後、ネパールに渡り、チベット仏教を七年間学ぶ。その後も十年以上にわたって海外で過ごし、さまざまな仕事に携わる。帰国後の2018年、工藝ギャラリー「essence kyoto」をオープン。
艸田正樹
1967年岐阜県生まれ。名古屋大学大学院工学研究科博士課程前期課程土木工学専攻修了。(株)三菱総合研究所勤務時代に、趣味として硝子と出会う。1997年より創作活動を始める。
装幀のこだわり
デジタル化された時代における情報と物質性の関係を問いなおす、
読んだあと「もの」として持っておくのを前提とした「工藝的な本」を。
表紙装幀
カバー
用紙=アラベールホワイト130kg
印刷=墨一色、つや消し黒箔押し
表紙
用紙=ワイルドホワイト624kg
印刷=活版印刷、墨一色
スリーブ
用紙=アラベールナチュラル200kg
印刷=墨一色
本文装幀
製本
書体
和文=「リュウミン」明朝体
欧文・数字=「Garamond 」本明朝体
組版
文語本文=字間八分空き
文字サイズ14級
行間11歯空き
口語本文=字間ベタ(空きなし)
文字サイズ14級
行間11歯空き
コデックス装
赤糸綴じ
制作チーム
デザイン=山口信博(山口デザイン事務所)
印刷=株式会社山越
製本=有限会社篠原紙工
赤木明登氏による漆の箱
matohuによる四色絣の「銘仙・波柄」
工藝とは何か 特装版
共著者である赤木明登さんと堀畑裕之さんが、 それぞれの分野の素材を使い、輪島塗の漆の外箱とmatohu の布箱装丁 による数量限定の特装版です。
赤木明登氏による漆塗りの外箱仕様
一冊一冊赤木工房で手作業で作られています。最後の仕上げは赤木さん本人の上塗りで、布目に松煙漆を塗立にしています。
「工藝」の文字は柳宗悦の雑誌『工藝』から写した鼈甲文字。銀箔を貼って透き漆に。
漆箱:布目松煙漆塗立・鼈甲文字
限定:100部
定価:30,800円(税込)
matohuによる四色絣の「銘仙・波柄」
「銘仙」とはたて糸をプリントし、仮の横糸をほぐしながら織っていくことから「ほぐし織」とも言われます。
かつて大正・昭和初期に流行した着物地である「銘仙」を、現代によみがえらせ、一冊一冊の本に纏わせました。
写真のように黒と青の二種類がございますが、一つ一つ模様が異なっています。どれも唯一の本になります。
絹布箱:銘仙・波柄
限定:100部
定価:30,800円(税込)